空の大蛇《スカイサーペント》に出会う旅。   ―――――― 2025 Snake New Year Project Back

01.空の大蛇《スカイサーペント》の噂

 空の大蛇《スカイサーペント》。
かつて、多大な被害を齎した魔物の名だ。その大きさは、村どころか小島でさえ、尾の一振りで潰されてしまうほどだという。あまりの脅威に国が大御所ギルド『スナメリ』に討伐を依頼したという話は、少し前から広がっていた。

「――――そんな、危険な魔物ですがね。実はとても神聖な生き物らしいっすわ」
 そう言ってヒソヒソ声で話すのは、50代半ばの男だ。暗い酒場だというのにサングラスを嵌めている。酒場の熱気にあてられてか、赤に白いハイビスカス柄の半袖のワイシャツという薄着姿だ。日焼けしたかのような小麦色の肌なのもあって、まるで南の国のツアーガイドのようである。
「何でも無事にそのご尊顔を拝んだ夫婦が子供をあやかったとか、売れなかった商品に途端に値がついた商人がいるとか」
「あっ、それ! 俺も聞いたことがあるぜっ」
 ちょうど男の後ろを歩いていた30代ぐらいの男が、ひょっこりとワイシャツの男の話すテーブル席へと顔を乗り出す。橙色の髪をばさばさに伸ばし、黒いジャケットを着こなした、如何にも調子の良さそうな男であった。
「俺が聞いた話だと、偶然鱗を持ち帰った男が大金持ちになったとかっ」
「それ、単に鱗を売り捌いたんじゃないの?」
 テーブル席で座っていたフードの女が、思わずと言ったように言葉を吐いた。目深に被っているせいで、顔は見えない。女だと分かるのは、その声だけである。

「まぁ、そいつについてはそうかもな。けれど、その男の鱗を買い取った婆さんはなんと長年の腰痛が嘘のように治ったとか」
 50代の男が、30代の男をかばうように補足を入れる。暑いのか額に汗を搔く彼らは、何故かちらちらと互いに視線を合わせては外し……、を繰り返している。
「それはすごい!」
 感心した声を上げたのは、同じくテーブル席に座っていた紺色の髪を後ろで纏めた若い男だ。20代前半だろう。その顔からはまだ幼さが抜けていない。
「もし万病に効くんだったら、是非とも欲しいですね!」
 笑い声が酒場から溢れた。きょとんとする若い男に、酒場のウェイトレスが酒を置く。そのタイミングでウェイトレスが無邪気に尋ねた。
「ジャックスさんは、何を治して欲しいんですかぁ?」
 ジャックスと呼ばれた若い男は自身の胸を叩いて宣言した。
「勿論、俺の頭をさ!」
 話を聞いていたらしい周囲から、途端に爆笑が巻き起こった。

02.愚か者、集合

「……やっぱり駄目だぜ、ミゼ兄貴。これは、商売にならねぇって」
 酒場の外、人気のない路地に入り込んで嘆くのは、先ほどの調子の良さそうな男だ。ミゼと呼ばれた南の国のツアーガイド、ないしサングラスの男は、
「いや、偶々運がなかっただけさ、弟よ。もう一押しあったら上手く言ったとか考えないか?」
 などと呑気に返している。
「でも俺等、もうあの酒場の人間に名前と顔をすっかり覚えられているんだぜ? 新規なんて今日テーブル席にいた連中ぐらいなものだろっ」
 弟分の指摘にミゼは頭を掻いた。
「うーん、それは、まぁそうだけどさ。大型のギルド船なんぞ、他にあんまり飛んでねぇし」
 狙いの魔物が出るのはイズミヤ空域だ。そこに最も近い地点となると、必須今いるギルド船しかないというのが、ミゼの言い分である。ちなみにこのギルド船は島ほどの大きさがあって、酒場はおろか宿に食材屋、武器屋に装飾屋と一通りの施設が揃っている。ギルドの人間にとって外すことのできない拠点だ。
「『スナメリ』が倒す前に空の大蛇《スカイサーペント》に会いに行くツアー! 特別感あってよいとおもうんだけどなぁ」
「いや、命懸けっすよ、そのツアー」
 弟分がぼそっと突っ込む。
「だがそれぐらい大馬鹿者じゃなきゃ、釣れねぇって。変に用心深いと俺等が痛い目見るだろ、弟よ」
 ミゼの言葉は根本的な問題を解決するものではなかったが、すっかりその気になった弟分は目を輝かせる。
「さっすが、兄貴! 仰るとおりですぜっ! 愚か者を搾り取ってこそ、俺等『ミゼシカ』、大盗賊よっ」
「バカッ! 大きな声で言うなって!」
 そのとき、
「おぉ、いたいた! ちょっといいか?」
 などと声が聞こえたから、ミゼたちは慌てて口を閉じた。
 見やると、先ほどテーブル席に座っていた若い男が駆け込んでくるところだった。後ろで束ねた紺色の髪がゆさゆさ揺れていて、焦っているのがよく分かる。
「おぉ? なんだい?」
 ミゼの声は上擦っていたのだが、男は特に気にしなかったようだ。
「さっきの話、もう少し詳しく聞かせてくれよ! その空の大蛇《スカイサーペント》ってやつ」

――――釣れた!

 まさかの展開に、兄弟たちは目を合わせる。
「いいぜ、あんちゃん。興味があるようなら聞くぜっ?」
「あぁ、助かる。実は俺、そいつの鱗ってやつが欲しいんだけど」

 ――――なんと愚かな。

 兄弟たちは内心有頂天になった。
「実は俺ら、空の大蛇《スカイサーペント》まで飛行船を出すってこともしてるんだけど、どうだい?」
「本当か! てか、あんたら知り合い同士だったんだな!」

 ――――しまった! 

 兄弟は焦る。先ほどの酒場では、弟分はミゼの声を偶然聞いて話に加わる役だったのだ。他人同士のフリをしていないと話が合わない。
「いや、実はな。さっき俺等の中で空の大蛇《スカイサーペント》で盛り上がったんだよっ。そうしたら、ミゼ兄貴のほうが飛行船を出す事業をしているっていうんで、つい乗っちまったんだぜっ!」
 弟分が自分のことを気安く名前で呼んでいることにミゼは焦ったようだ。幸いにして特に気づいていなさそうな若い男に、大きく吐息をつくなどしている。
「そうか、あんたも俺と同じクチなんだな!」
 と、若い男は嬉しそうだ。
「そうそう、『スナメリ』が討伐しちまう前に何とか会いに行かねぇと。なっ?」
 ふられたミゼは盛大に頷く。
「その通り! 相手が相手だから絶対に安全ってわけにはいかねぇが、飛行船に乗って快適に空の大蛇《スカイサーペント》まで案内してやるよ!」
「頼もしい限りだぜ!」
 ミゼに合わせて、男もガッツポーズで返す。ノリはとても良いらしい。
「で、幾ら払えば良いんだ?」
 男はすぐに尋ねた。飛行船に乗るのだから、当然の発想だろう。だがここであまり高いと断られる可能性もあると考えたのが兄弟たちだ。目配せし合った後、ミゼは言い切った。
「何言ってるんだ、今回会ったのもなにかの縁! タダで乗せていってやるよ」
「まじか! なんて言いやつなんだ!」
 素直に感心する男に、内心笑いたくなって仕方がないのだろう。ミゼたちの肩が僅かに震えている。
「いいってことよ! おう、こうなったらちゃんと名乗らないとな! 俺はミゼ。そっちのは、シカ。あんちゃんの名前は、ジャックスで良かったよな?」
 ウェイトレスに呼ばれていた名前で、確認をとる。
「あぁ! それで間違いないぜ」
 ジャックスは盛大に頷いた。
「よろしく頼むぜ、ジャックス」
 シカがそういったときだ。

「ちょっと良いかしら?」

 女の声が聞こえて、ミゼたちは振り返る。そこに、先ほど酒場にいたフードの女がいた。声の感じからして、大人の女だとは分かるが、フードを目深に被っているせいで、やはりはっきりとした顔は分からない。ただ、ミゼの勘ではこの女は美人だと思われた。故に、執拗に女を気にしていたのも事実なのである。
「その話、私も混ぜてもらえない?」
 思わぬ提案に、ミゼの心臓が跳ねた。本当は二人で一人を相手にしたほうが身ぐるみを剥ぎやすいが、か弱そうな女が加わるぐらいなら大丈夫だろうという算段もあった。
「勿論だ。ええと?」
「ラヴェでいいわ」
 そう言った女の口元が、僅かに上がったのが見えた。

03.旅立ち

 ミゼの飛行船は四人が乗っても歩くスペースがあるほどには広いが、比較的小型で速度がウリの機体だ。見た目はシェパングの屋形舟のような形をしているが、窓ガラスで覆っているので風も通しにくい。最もガラスは高いのでかなり薄いものを使っている。表向きは、軽量化で通していた。
「中々良い機体ですね!」
 ジャックスがそう声を弾ませる。
「そうだろ? この広さなら、空の大蛇《スカイサーペント》の鱗も楽々積めるぜ?」
 早くから席について喜ぶジャックスの近くでは、ラヴェが船の中を観察して歩いている。
「……確かに。ちゃんと魔物避けの香を焚けるようにもなっているし、ギルドの紋章旗もあるのね。なんてギルドなの?」
「『ミゼシカ』ってんだっ!」
 胸を張ってギルド名を述べるシカの発言に、ジャックスが目を丸くする。
「へぇ。シカさんの名前があるなんて、凄い奇遇ですね」
「……そ、そう! それで盛り上がったのもあるんだよ、なっ?」
 どもりながらもシカに振るミゼだが、
「お、おう! 全く不思議な縁もあるっていうんで驚いちまったものだとか」
 シカもまた動揺が声に出ていた。
「ふぅん」
 どこか呆れたようなラヴェのため息が溢れる。
「まぁ、それはいいけれど。そろそろ出発できそうなの?」
「あぁ! 危ないから座っていな! いざ、空の大蛇《スカイサーペント》へ、出発だぜ!」
 ミゼの合図で、飛行船は大きな音を立て始める。普通の飛行石では出ない音だ。ミゼが自己流で組み込んで、わざとうるさくしている。理由は簡単で、そのほうが速い気がするからだ。
 やがて、わずかな熱気とともに、飛行船が浮き始めた。ギルド船の最も天に近い場所に用意された滑走路の上を、ミゼの飛行船が走り出す。
「おぅ、イエーイ!」
 走るのは好きなのだろう。ふわりと空を浮く飛行船が風に乗って空を進むと、そうミゼとシカが声を上げた。
「おぅ、イエーイ!」
 ジャックスも遅れて、声を上げる。やはりノリが良いのか、楽しそうである。
「イズミヤ空域は、これから五時間後に到着だ。着いたら目茶苦茶揺れるから、今のうちに仮眠をとっておけよ!」
 ミゼは機体が安定した頃を見計らって、全員にそう指示を出した。
「了解だぜ、ミゼ兄貴」
「シカは四時間後に交代な! 俺も寝たい!」

 二人のやり取りをにこにこと聞いていたジャックスは、
「仲良しでよいですね」
 とラヴェに話を振る。
「はぁ?」
 と驚いた声で返された。
「まぁ、それはそうと、あなたは何で空の大蛇《スカイサーペント》を?」
 ラヴェに話を振られたジャックスは、きょとんとする。
「俺、言いませんでしたっけ?」
 ラヴェからの答えがないので、ジャックスは続けた。
「俺の頭を治してもらうためですよ!」
 ラヴェは冗談だと思っていたのだろう。それが本気だったらしいと気づき、反応に困っている様子だ。
「実は俺の頭、1週間前のことを忘れちまうようにできていて」
「は?」
「だから医者にも通っていたみたいなんだけど、駄目だったらしくて」
 らしいと言いながら、ジャックスは胸ポケットの手帳を取り出す。そこに必要なことをメモしているらしい。
「もう何でもいいから縋ってみるしかないって、ここにあったんで、試してみているというか」
 忘れているからか、ジャックス本人は何ともなさそうな表情だ。けれど、少なくともそういう書き込みをしたということは、何でも良いから縋りたいという思いも確かに本人にあったのではないかと感じ取れた。
「そう。思ったよりまともな話だったのね」
「あの、それでラヴェは?」
 ところがジャックスが話を振ったときには、ラヴェはもう毛布に包まってしまっていた。
「もう寝ちゃったのか」
 仮眠の時間と気が付きジャックスもまた毛布にくるまる。

「なぁ、兄貴。あいつら寝てしまいましたぜっ」
「そりゃ、仮眠をとれと言ったしな」
「どうしやす?」
「変更はなしだ。ここじゃ理由がつけられないだろ」
 ひそひそと聞こえるやり取りは、二人を起こさないためのものだ。
「やるのは目的地についてからだ」
 そう宣言するミゼに、シカが同意した。

04.冒険に危険は付き物

「さぁ、そろそろ起きてくれよ。着いたぜ、イズミヤ空域に!」
 ミゼの声にラヴェとジャックスが顔を上げる。二人の目の前には雲が広がっていた。雲の形が絶え間なく変わっていく様子から、相当に強い風があると分かる。
「この空域の何処にいるかは不明だ! とにかく目を凝らして探してくれ! 何、でかいからすぐに分かる」
「じゃあ、突っ込むぜっ!」
 シカの声とともに、飛行船が速度を上げる。
 そうして雲にぶつかった途端に、目の前が曇った。見つけろと言われても視界が悪すぎて、誰にも様子がわからない。魔物避けのお陰で魔物はいなさそうだが、常に風に煽られる船はこれ以上ないほどに揺れている。慣れていない者なら、すぐに気分が悪くなったことだろう。
 ジャックスたちは椅子にしがみつきながら、景色を睨みつける。激しく揺れる船の中、何時間もそうしていると体の疲れがでてきたのか、四人の動きが見るからに鈍くなった。
「そろそろ、補給だ。あんたらもこれを食いな」
 そう言って、ミゼは飲み物とパンを配る。
「良いんですか?」
 パンを受け取ったジャックスは、驚いたようだ。タダで飛行船に乗るどころか、パンまで提供されたことに感涙している。
「あぁ、しっかり食べておいてくれ」
「私は自分のを用意しているからいいわ」
 ラヴェは自分の荷物から乾パンをとりだし、早速口に入れる。
「まぁ、そう言わずに」
 とミゼは言うが、
「腐らすと厄介だから」
 ラヴェの言葉に頭を掻いた。
「まぁ、そう言うなら貰うだけ貰っておいて後で食べてくれや」
 大人しく受け取ったラヴェは、自分の鞄にそれをしまう。

 ジャックスとミゼが食べ終わると、
「ミゼ兄貴! そろそろ運転かわって欲しいぜっ! 腹ペコだっ」
 とシカが叫ぶ。
「勿論だ。待たせたな、弟よ」
 そうして、ミゼとシカが交代した矢先のことだ。
「前!」
 いち早く気がついたラヴェが声を上げる。目の前に大きな木の板が迫ってきたのだ。
 慌てたミゼが舵を思いっきり切ったが、間に合わなかった。大きな音ともに、船体に衝撃が走る。
「うわぁ、なんだ?」
「廃船の残骸だっ!」
 シカの叫びで、空の大蛇《スカイサーペント》か他の魔物か、何らかの原因により大破した船とぶつかったのだと気がついた。
 先頭のガラスに大きなヒビが入る。
「被害は?」
 叫ぶラヴェに、
「見ての通り、窓が逝った!」
 その瞬間、窓の隙間から風が流れ込んだ。窓がバラバラと崩れていく。四人は一斉に突風に加え、雨水を被った。ジャックスなど耐えきれずに後ろに転がる。
「ジャックス!」
 ジャックスは平気だというように手を挙げる。だが、起き上がることはできないようだ。風が強すぎて席まで戻れないのである。
「このまま、突き抜けるしかねぇな!」
 浮かぶ残骸は一つや二つではない。それを小型なの幸いに避けて、航空していく。雲間から突然現れるそれを、目利きだけで避けるのは至難の業だが、奇跡的にかぶつからずに済んでいる。
「兄貴すげぇやっ!」
「まぁ、任せろ!」
 褒められて自身の胸を叩いたミゼに、ラヴェは叫ぶ。
「こんなときに舵から手を離さないで! 右からきているわ!」
 寸前だった。慌てて舵を握り直したミゼによって旋回した飛行船のすぐ横を、残骸と思わしき金属が流れていく。
「これ、空の大蛇《スカイサーペント》の仕業よね」
 もはや何の部品かもわからないほど大破したそれに、他に思いつくものはないというように、ラヴェは呟いた。浮いているということは、まだ時間がそれほど経っていないという判断のようだ。分厚い雲を睨みつけた。

05.転機

 ふいに風が強くなり、船体が盛大に煽られる。必死に座席にしがみつきながら、四人を乗せた船が進む。雨風の冷たさが直に肌に突き刺して、体力を奪う。互いに声を掛け合えたのは最初だけで、全員が何も言えなくなった。どのみち叫んだところで雨風が酷すぎて、何も聞こえなかったのもある。
 終わりは、突然にやってきた。ふいに視界が晴れたのである。嘘のような静寂が訪れる。
「中央だ! 二人共大丈夫だったか?」
 ミゼが声を掛ける。ラヴェは何とか大丈夫と答えようとし、背後からうめき声を聞いた。
「ジャックス?」
 床に倒れ込んだジャックスは、起き上がらない。様子がおかしいのにはすぐに気がついた。雨風の寒さが、ジャックスの意識を朦朧とさせているのかもしれない。或いは嵐の中飛んできた何かによって怪我をした可能性もあった。
「ちょっと、大丈夫?」
 ラヴェは慌てて駆け寄る。ジャックスを見る限り、外傷はなさそうだ。だが、顔色が目に見えて悪い。雨風に濡れるだけでそうなるとは思えないほどだ。手足どころか舌も満足に動かないようで、ジャックスは息も絶え絶えの様子でこう告げた。
「か、からだが」
「身体?」
 聞き取りにくい。そう思って、ラヴェは耳を近づける。
「段々、思う……ように、動かな、くなっ、て……」
 ジャックスはどうも瞼も重いようだ。ぴくぴくと瞼が痙攣し、意識も朦朧としているように見えた。
「ジャックスの調子が悪そうよ」
 そう言って、振り返ったラヴェの目が鋭くなる。反射的に腰に手を当てた。

「そりゃあそうだろう。薬が効いてきた頃だからな」

 ミゼとシカはいつの間にか、二人を取り囲むように距離を詰めていた。二人の手には、銃がある。
「さてと、想定外の被害が出たが、ここまできたら怪しまれることもねぇよな?」
 ミゼの言葉を引き取って、シカが宣言した。
「悪いけど、あんたらの身ぐるみ剥がさせてもらうぜっ?」
 ろくに動けない男とフードの女、その二人へと盗賊たちが迫る。そして、その瞬間、二発の銃声が空に轟いた。

「ぁあ、痛っ!」
 情けない悲鳴が上がり手を押さえて倒れたのはシカで、
「ぅおっと!」
 驚いたように万歳をしたのがミゼだ。
 二人の手にあったはずの銃は、地面に落ちていた。
 シカが慌てて拾おうとしたが、そこに更に銃声が響く。落ちていた銃に命中すると、シカから離れた場所へと飛んでいった。
「全く、あなたたちまどろっこしいのよ。やるならもっと早くやれば良いのに、お陰でこんなところまで付き合う羽目になったじゃない」
 ふっと銃口に息を吹きかけたのは、二人の前にいたフードの女だ。鬱陶しそうにフードをまくりあげると、途端に豊かな金色の髪が露わになった。
「うわぉう、想像以上の、すげぇ美人」
 銃を向けられていることも忘れてミゼが呟く。
「だから、何なの? その気の抜ける態度」
 呆れた様子を見せつつも、ラヴェは銃口を一つずつ二人へと向ける。そう、その手には二丁の銃があった。
「しかも、二丁拳銃って、恰好いいなっ!」
 シカが目を輝かせて言うので、ラヴェは更に呆れ返ったようだ。
「本当は一丁のことが多いんだけど、ってのは良いのよ? あなたたち、私に銃を向けておいてその態度は何なのかしら?」
 緊張感のまるでない二人に、ラヴェは引き金を引くしぐさをした。そこで始めて、兄弟たちは自分たちの立場を把握したらしい。
「あー、いや、そのちょっとした遊びのつもりとか?」
 ミゼの言い訳に、ラヴェは立ち上がり、前へと進み出た。
「薬を使う遊びって度を越し過ぎでしょうよ。それにね、あなたたちが盗賊だということは端から知っているの。そもそも、私の今回の任務は盗賊狩りなわけ。だから言い訳は不要よ」
 ミゼとシカの顔色が真っ青になった。目の前の女は獲物などではなく、自分たちを取り押さえるために派遣されたギルドの敏腕だと悟ったからだ。
「分かったら二人共、自分たちをこの縄で縛りなさい」
 フードの中に入っていたらしい。ロープの塊を脚で蹴り上げると、それは狙いを外さずシカの前に落ちた。
「必要なら命を絶っても良いことになっているから。下手な抵抗はしないことよ。私の銃の腕は、さっき見せたとおりだから」
「そんな滅相な!  ど、どうしやす、兄貴っ」
 シカがロープを持ち上げて、ミゼに相談する。その時になって、ラヴェは船全体が暗くなっているのに気がついた。
 一同の中で誰よりも先に叫んだのは、意識が朦朧としていたはずのジャックスだった。
「そんなことより、上だっ!」
 ミゼとシカが見上げたそのときには、水色のそれが船を通過する瞬間だった。
「あっ!」
 思わずジャックスが声を上げたのは、それこそが目的の魔物だと気がついたからだ。
「凄い、確かにこれは想像を絶する。……これが、空の大蛇《スカイサーペント》!」
 すっかり薬の効果が消えたらしい。恐らくは眠り薬の類だったのだろうが、魔物を前にしてジャックスの意識が完全に覚醒したとみえた。
 ジャックスの声に応えるように、空の大蛇《スカイサーペント》が声を上げた。その瞬間、空が震え船にいた全員がたまらず耳を抑える。

06.空の大蛇《スカイサーペント》

 そうして、四人ともがそれを見た。
 遥か空の先、僅かににじむ星空を背に空色の鱗を靡かせた大蛇の姿をだ。
 尾の先端は自分たちの船のすぐ上を通った。だというのに、大蛇自体は空の彼方にいるのである。あまりに桁違いの大きさに全員が度肝を抜かれた。
 そして、遠目にもはっきりと分かった。自分たちのちっぽけさを別にしても、その大蛇は確かに神々しさを持ち合わせていた。
「こんな衝撃的な姿、忘れたくないな……」
 ジャックスがそう零す。

空色に輝く鱗を持つ大蛇

07.再開からの

 空の大蛇《スカイサーペント》は、暫くすると分厚い雲の中へと突っ込んでいった。取り残される形になった四人はほっと息をつく。
 確かに壮大な姿だった。それ故に、過って接触しようものならたちまち空の藻屑になることは想定できた。
 そうして、再び顔を合わせた四人は、つい今しがた自分たちが銃を向けられていること、向けていたことに気がついた。
「鱗、追いかけられないか?」
 緊迫な空気が流れ始めようとしたそこに、ジャックスが問いかける。
「いや、あなたね。そんな空気じゃないでしょ。聞いていなかったの?」
「二人が俺たちの身ぐるみを剥がそうとしていたのは、聞いていたさ。けれど、俺は追いかけたいんだ」
 ラヴェに頼んでも無理と気がついたのか、ジャックスの視線はミゼたちに向かう。
「む、むりだ。窓も割れちまった今の状況じゃ、接触しようものなら本当に命懸けになっちまうとしか」
 ミゼは空の大蛇《スカイサーペント》の姿にすっかり腰が抜けているようでもあった。
「けれど、俺は鱗が欲しいんだ」
「いや、改めて考えてくれよ! 俺らは盗賊であんたの身ぐるみを剥がすためにばれない場所に誘い込んだだけだ。鱗なんて取ろうとしても、まずでかすぎて船に入らねぇとしか」
 船に入る大きさだといったのはミゼだ。けれど実際には想像以上の大きさだったために、物理的に無理だと叫んでいる。
 発言が嘘だと気がついてか、ジャックスは、
「じゃあ、俺の頭はどうしたら良いんだ?」
 と嘆き始める。
「いや、あんたの頭なんて知ったこっちゃないんだが」
 思わずというように呟いたシカに、ジャックスは耳聡く聞きつけた。
「いやいや、大事なんだ! 俺には」
「だーかーらっ! 鱗の話から嘘なんだ! 金で売れるものでもねぇし万病になんて効かねぇよっ!」
「そんな!」
 今更気がついたのか動揺するジャックスに、ミゼとシカが顔を合わせる。さすがに可哀想だと互いの顔に描いてあった。
「……ええと、あのさ。鱗はわかんねぇけど、要するに記憶が消えない方法を知りたいんだろ?」
「そうだけど」
「あるぜ」
 ミゼは言い切る。
「出鱈目言うのはやめなさい!」
 というラヴェの声に、反論した。
「いやいや、出鱈目じゃない。だってその提案っていうのはな、俺らの仲間になることなんだから。そして助けろ、助けてください」

「はぁ?」
 あまりに突拍子もないので、ラヴェの頭に空白が生まれた。それを好機とみて、ミゼはまくし立てる。
「いいか? もし記憶をなくしても誰かがそれを覚えていれば何も問題はない。覚えているやつに聞けばいいんだから! そして、俺らは今日空の大蛇《スカイサーペント》を目撃した! この感動はいつでも共有できる!」
「いいこと言うぜ、兄貴っ!」
「いやいや、いくらなんでもそんな無茶苦茶理論」
 ラヴェは呆れた顔をするが、
「なるほど! 一理ある!」
 というジャックスの同意の声が挙がって
「はぁ?」
 と再び声を上げた。その声音にははっきりと、理解できないものを見る響きがあった。
「ということで、ラヴェ。ここは俺に免じて見逃してほしい!」
 ジャックスは早速ラヴェに頭を下げる。
「あなた、薬を盛られてここで身ぐるみを剥がされたらどうなっていたか分かる? そのまま海に落とされるのがオチよ? そんな奴らをこんなわけのわからない理由で許せっていうの?」
「いやいや、俺ら今までそんな酷いことしてねぇしっ! そんな勇気ねぇしっ!」
 すかさず、シカから否定があった。
「ここでなら、俺等に身ぐるみを剥がされた後で、何かしても文句を言わないって契約書書かせられるんだよ」
 すかさず、ミゼの言葉を受けたジャックスが、許しを求める。
「ほら、二人共そう言っているし!」

08.報告、ほぼ愚痴

「……もうわけ分からないわよ。なんなの、あいつら? 全く妙な連中とつるまされた私の気持ちが分かる?」
 いらいらとテーブルカウンターでラヴェが愚痴る。あれから無傷で帰れたのは運が良いとしかいえない。とはいえ、付き合いきれなくなったラヴェは、早々に三人と別れた。どういうわけか、すっかり仲の良くなった三人といえば、互いを兄弟呼びにするほどなのである。
「まぁまぁ、お疲れ様です。ラヴェンナさん。まぁ、お二人は一応改心してギルドを解散してくれたんでしょう? これで盗賊が紋章旗を不正利用することはなくなりましたよ」
 依頼人でもあるギルドの受付は、ラヴェ、もといラヴェンナの報告にそう答えて宥める。
「それはそうだけど」
「それに、問題ありませんよ。ジャックスさんはああ見えて優良で優秀なギルド員として登録されています。お仲間が悪いことをしたら引き留められる人でもありますし、きっとこれからは『ミゼシカ』たちの悪事は減ります」
 やたらと断言する受付に、ラヴェンナは疑問を抱いたらしい。
「どうしてそんなことを」
 と尋ねた。
「……ここだけの話ですがね。ジャックスさんは過去、悪事に染めた仲間を止めようとした結果、裏切られ死にかけているんですよ。そのショックから記憶障害が発生したようでしてね」
 受付はジャックスについて詳しかった。初めてくる酒場のウェイトレスに名前を知られているほどなのだ。一部では有名なのだろう。
「ジャックスさんは障害を治す傍らで、悪事に手を染める者を見かけると必ずそれを止めようとする方なんです。普通は痛い目を見た後ですからそういうことはしないと思うんですが、きっと、かつての仲間を止めきれなかったのが相当ショックだったんでしょうね。まぁ、そういう人だったので、あまり心配していません」
 受付はむしろ、安心したという顔をしていた。よほど、彼のことも心配していたのだろう。
「まぁ、『ミゼシカ』は正直心配になるぐらい抜けた連中だったし、なんか最後はジャックスを命の恩人呼ばわりしてたから良いのかもしれないけれど」
 ジャックスが、ラヴェンナから二人を救った恩人ということで、盗賊たちはジャックスを持ち上げていたのである。お陰で最も若いはずのジャックスが兄貴扱いされていた。
「一応暫くは彼らに監視をつけさせてもらいますよ。それで良いですか?」
 保険の提示があり、ラヴェンナは頷いた。ギルドの監視能力の高さはお墨付きだ。

「まぁ、それなら問題ないわ。万が一が起きたらと思うと気になっていたから」
「全く、ラヴェンナさんは真面目ですね。かしこまりました。報酬は上乗せしておきます」
 ラヴェンナは堪らずにっこりと笑みを浮かべた。
「あら? それはうれしい。また、例の男の情報が引っかかったら教えてね?」
 ギルドに頼んでいる情報について、改めてお願いをする。どうも、ギルドはラヴェンナが欲しがっている情報を出し惜しみする様子が見受けられるのだ。だから、こうしてギルド直々の依頼を受けることで恩をたくさん売りつけ引き出そうという作戦に出ていた。
「ええ、それは承りました。空の大蛇《スカイサーペント》の加護があらんことを」
「まぁ、魔物の加護って何かしら? ちょっと不謹慎じゃない? でも、確かにあの姿は、神聖視したくなるのも分かるわ」
 空の大蛇《スカイサーペント》の姿を思い返して、ラヴェンナはある意味納得する。
「世界にはまだまだ解明できていないことも多いですからね。本当に大蛇の加護はあるかもしれません。そう考えたら、素敵でしょう?」
 受付の言葉に、ラヴェンナは思わずといった様子で、くすっと笑みを零した。

「あなた、詩人になれるわよ」

09.空の下で

「ジャックス兄貴ー! 今度は何処に行きましょう?」
 ある空の下で、三人の兄弟たちが会話をしている。
「そうだなぁ。空の大蛇《スカイサーペント》の姿は感動したからなぁ。そのせいか1週間経ってもまだ忘れてないんだ」
「なんと、すごいじゃないですか! やはり空の大蛇《スカイサーペント》は只者じゃないってことですねっ!」
 シカの言葉に、
「だな! そう考えると、そうやって感動できるものを見つけに行く旅もいいな」
 と、ジャックスは答えた。
「なんと、たのしそうじゃないっすか。というかジャックス兄貴、金持ちだったんすね。俺らの船の修理代出させてしまってすいません」
 ミゼの飛行船には新たに分厚いガラスが取り付けられている。これから、その船で旅に出るところであった。
「いいって。俺ら、仲間なんだろ?」
「その通りっす!」
 楽しそうな会話は、彼らの船から止むことはなかった。

E N D

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